![]() |
サムチョントンネルの上に位置したスッジョン門は南大門・東大門・西大門とともにソウル城郭4大門の一つとして俗称北門といわれていました。ソウルの北に位置したこの門は初めはスッチョン門(肅清門)でしたが、どういうわけかスッジョン門(肅靖門)に改称され、中宗以降の実録には皆スッジョン門(肅靖門)と記録されています。 4小門のひとつであるチャンイ門(彰義門)と共にヤンジュ(楊州)とコヤン(高陽)を往来する通路として利用されたもりしたこの門は、ソウル城郭の他の門と同じく太祖5年(1396)に創建されました。 |
| この門は燕山君10年(1504)に本来の位置から若干東方である今の位置へ移建しましたが、この時虹模様のホンイェ(虹霓)となった石門だけ立てて門樓は立てなかったようです。1975年ソウル特別市で崩れた門樓を修復しようとした時、石門だけあったのかそれとも門樓もあったのかという問題で何回もの討論を経て、太祖の時門樓が建築されたということを根拠にこれを復元した後、肅靖門という扁額をかけました。朝鮮初の記録を見れば風水説と陰陽説によってスッジョン門を閉めたり開いたりしたそうです。 その例により太宗13年(1413)6月に風水学者のチェ・ヤンソン(崔揚善)が風水地理学上景福宮の両腕になるチャンイ門とスッジョン門を通行することは地脈を損傷させるという上書があるとし、遂にこの門を閉鎖して道に松を植えて人の通行を禁止しました。 |
|

